一皿50。“あんぱん”。

今夕、銀座に出た折、木村屋で”あんぱん”を買い求めた。

木村屋、銀座4丁目角和光の隣、その超一等地にビルを持ち、その一階をお店にし2階、3階をカフェとレストランにしている。
嘗ては、この2階が製造所だったと言うから、この“あんぱん”の贅沢さは尋常ではない。

この“あんぱん”、ガス灯の灯る明治7年、この木村屋で売り出され、明治8年には、山岡鉄舟の仲介で明治天皇に献上され皇后陛下が食し喜ばれた菓子パン。

それに、かの文豪、森鴎外も好み幾度となく買い求めたという“あんぱん”でもある。
なんとも、豪勢な顔ぶれが並ぶ、恐れ入る“あんぱん”なのである。

“あんぱん”に遅れこと26年後の明治33年に、この木村屋で“ジャムパン”が発売され、そうして “クリームパン”が明治37年新宿中村屋のショーケイスに並び、菓子パン三羽ガラスが勢揃いした。

“あんぱん”は「中に餡を入れて焼く」という日本独特の工夫がされた菓子パン。欧米では、サンドイッチやハンバーガーのようにパンに何かを挟む、或いは、バターやペーストを塗る。それに、お隣の中国では、“餡“を薄い皮で包み込んでいる。

“あんぱん”は、西洋から伝わったパンの中に中華の手法で和の味を包み込んだ。正に、“和洋漢”の知恵を詰め込んだ菓子パンなのである。

因みに、“サンドイッチ”は第三代サンドイッチ伯爵(Earl of Sandwichが生みの親。それに、“ハンバーガー”はアメリカで生まれ、銀座4丁目で藤田田が一号店を開店させた。“饅頭”に至っては “諸葛孔明”が産みの祖と言う。

“あんぱん”の誕生には、畏れ多い人たちが関わっているのである。

大陸から流れ込む物や知識を、日本列島が受け皿ように受け止め、独特な文化を花咲かせた日本。

この“あんぱん”は、ことほど左様に日本の国に生まれるべくして産れた、確かな歴史をも背負つた菓子パンなのである。

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