コロナ禍は、後戻りのできない変化を我らの日常に与えたようだ。
人通りも絶えた深夜。
心地よい春風に吹かれての帰り道で、黒帽子に顔面一杯の黒色のマスクといった出で立ちの女性とすれ違った。

流石に、連れ立っていた犬はマスクは付けていない。
この女性、コロナ終焉宣言が出されて久しいにもかかわらず、未だ、コロナの残滓に怯えているのだろうか。
確かに、マスクの着用者は激減してはいるが、今もマスクの着用者が一定数いる。

それにしても、この女性のマスク姿が様になっていた。
実は、この女性はマスクを化粧と同じ様に個性をアピールする小道具にしていたのではと、“ふっと”そんな思いが頭を横切った。

帽子を暑さしのぎと言うより自己アピールの小道具としている者がいる。こうした帽子を心理的には「クジャクの羽」と言う。
この女性のマスクは、実は「クジャクの羽」で、新しい装身具を得たと見るが、意外に正しいのかもしれない。

コロナ禍以来、確かに、身につける小道具が様変りした。
鞄がリュクに、靴が運動靴に、日傘が手持ち扇風機に変わり、
帽子姿の人も増えた。

その一方で、サラリーマンをあの地獄的通勤の混雑から解放させた、時差通勤とリモート勤務制度が認められた。
コロナ禍がこの世をどこに連れっていったのか。
我ら老いたるものには関わり無いが、少し心配してみるのである。

だが、皆さん。
コロナ禍の置き土産、その帽子とマスクにはご注意あれ。
帽子は、頭皮が蒸れ血行不良となり禿げ上げ、マスクに至っては、鼻の穴を大きくし頬を下膨れさせ、お化粧ではおおい隠せない変容をもたらす、と言う。
余計なお世話ながらも、一言を添えさせて頂いた。
コメントはこちらから